五歩一興吾朗のTo be or Not to be

目標は40歳までに3000万円の資産形成をしてサイドFIRE。投資、エンジニア、結婚生活、料理、などなど。日常について。

ずる休み

 

してます。

 

ワクチンの副反応に備えてカロナール飲んだら、思いの外体調が良い。
熱も出ないし、倦怠感もない。
まるでずる休み。。。すまんな、先輩。

 

 

昨日に引き続き、自己理解メソッドの本を読んでおります。

 

今日のワークは、好きなことの見つけ方。

 

本当にやりたいこと = 好きなこと × 得意なこと × 大事なこと

 

の、好きなこと、の部分を見つける自分との向き合い方。

 

 

質問の一つに、こんなものがありました。

 

これに出会えて「よかった!」「救われた!」と思える分野・ジャンルは?

 

 

真っ先に頭に浮かんだのはもちろん、UVERworldなのですが、
救われた経験、と言われると難しい。

 

 

そりゃもちろん、何回も歌詞から勇気をもらった。

 

 

高校三年生の夏休み、Fight for libertyを聞いて、「人生が二度あるならこんな険しい道は選ばない」と思いながら、受験勉強を頑張ったこと。

受験直前にナノ・セカンドを聞いて、「幻想やマボロシを、幻想やマボロシのままで終わらせない」ために、E判定の大学に合格するために燃えていたこと。

自分は優秀だと思って入った会社で優秀な先輩だらけで自信が打ち砕かれていた時、Q.E.D.を聞いて、「TAKUYA∞もおれと同じ場所に立ってたのか」と、もう一度スタートラインに立つ気力をもらったこと。

 

他にも数えきれないくらいの好きな歌、頑張るときに聴く歌がある。

 

 

ただ、それらすべて清水流思考術「rrrrrrrぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!!熱くなれ!!!ヴォイ!!!」が浸透しているからこその自分に響いたものであって、
決して昔からそんなアツい自分であったわけではない。

 


いつからだろう、こんなにも熱く、むさくるしく、横にいると部屋の気温が上がるような、腫れぼったく、毛むくじゃらで、垢で黒ずんだ人間になったのは。

 


少なくとも小学生の時はそんなことはなかった。
いかに親に隠れてゲームをするか、
いかに塾の宿題を答えを見ながらやっていることがばれないようにナチュラルに誤答を混ぜ込むか、
いかに5時のチャイムに帰宅が間に合わなかった上手い言い訳を考えるか、
そんなことしかしてこなかった。

 

小学校受験はいわゆるノー勉で突っ込んで玉砕、何が起きたのかもわからず、気付いたら試験が終わっていた。
おれが作った知恵の輪はルフィの疲労を吸収したゾロよりボロボロで、平均台からは1秒も持たずに転落、マットででんぐり返しをした後のおれのシャツは、物陰に隠れるチョッパーのケツよりハミ出ていた。

習い事でしていたそろばんや英会話は嘘をついて休み、サッカーは全く上達しないので2年で辞めた。
ブンブンゴマを足で操り一躍クラスの人気者になったのがハイライト。
文字通り、ブンブン言わせていた。コマを。

 

中学校受験も全くうまくいかず、第三志望の学校で滑り止まった。
もう一回始めてみたサッカーもやはり上達せず、後輩が入ってきてもCチームのまま。
最初は学年で上から二位だった成績も、モンハンの発売とともに、下から六位に。
今でもティガレックスがトラウマ。怖すぎんねん。

 

そんな日々で、自分にこれといった輝く才能も感じず、自信が持てるものもなく、人から褒められることもない日々。
友達と遊んでいる毎日は楽しいけれども、ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない日々。
自〇願望とかは別になかったし、〇にたいと具体的に思ったこともないけれど、
もし不慮の事故や不幸が自分に襲い掛かって、明日が来なくても、
まぁ、別にいいかなぁ、と思っていたくらいには無気力やった。

 

そこで出会ったのがUVERworld

 

きっかけはふとしたものだったが、顔がかっこよかったことや、その時まだあまりメジャーではなかったこともあり、自分だけが知っているような特別感も相まって、よく聴いていた。

そんなこんなで初めて自分のお小遣いで買った『PROGLUTION』。

 

 

 

マンウィズみたいなジャケットが特徴。

 

お金をためて、初回限定版を買った。

 

よく覚えていないけど、この歌詞カードにの冒頭に書いてあった文章を読んで、
涙を流した気がする。

 

10代の頃、音楽で世界を救えると本気で信じていたのに、それを友達にバカにされて本気で悔しくて怒鳴ったこと。
当時30を過ぎていても、音楽で人の心は動き、人が変われば世界も変わると信じていたこと。
愛媛の温泉で、今が楽しいからまだ死にたくないと笑う76歳のおじいさんに出会ったこと。
自分もそうなりたいと思ったこと。

 

同じ10代の自分に、怒鳴るほど悔しく思えるような大切なことがないことや、
誰に理解されなくても貫いている芯があること、
屈託なく人生を楽しんでいる人がいること、
今思えばその全部がうらやましかったのだと思う。

 

大げさかもしれないけれど、自分の中で「音楽に救われた経験」の原点は、
ここだったのかなと。

 

 

いや、救われたの、音楽やなくて言葉ですやん。

 

ムゲ兄の言葉に救われてますやん。

 

これをきっかけにUVERをたくさん聴くように、その歌詞に自分を当てはめるようになっていったんやろなぁ。

 

 

自分なりに抽象化してみた、好きなことは、

・言葉を使って発信すること

かな?

歌詞がある音楽はもちろんそう、舞台とか、漫才とか、なんならただのスピーチとか、もしかしたら、本とか雑誌でもいいのかもしれない。

でも、ライブ感は好きだから、媒体は三次元の方がしっくりくるかなぁ、という感じ。

 

 

 

これは新しい好きなことが見つかったかも?

 

 

 

 

 

 

「音楽で世界は救えるのか?」という問いに即答できなくなったのは、いつからだろうか?

10代前半の頃の僕は本当に音楽で世界を変えられると思っていた。

中学の時、友達に「音楽は、あれば聞くけど歌はこの世界に必要ないし、
創るなんて意味が分からない」と馬鹿にされた時、

「じゃぁなんでお前は悲しい時、歌を聞くんだよ!」と怒鳴ったことをまだ覚えてる。

今思えば友達の言っていることも分からんでもない。
悔しくて言葉が出てこず怒鳴っただけの、あの時の僕はこう言いたかったんだ、

[音楽が世界を変えるのではなく、その音楽を聴いて変わった人たちが世界を変える]
音楽で人の心は動く。人が変われば世界も変わる。

僕は、たとえ一人になったとしても諦めない。

これは余談だが去年、愛媛に学園祭ライブで行った時、
現地の温泉で76才のおじいさんと仲良くなった。
戦争の話や、今の時代の話や、なんやかんやで30分ほど話し込んで、
僕は、おじいさんに聞いてみた、「明日死ぬのは怖いですか?」
おじいさんは、「今が楽しい、まだまだ行きたい!」と笑って言ってくれた。
僕は76才のおじいさんと「また逢おう!」と約束して温泉を後にし、こう思った。

僕も76才になっても言ってたいな、「素晴らしい世界だ、まだ死にたくない」